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クライスラー(Chrysler)とは

クライスラー
Chrysler LLC
種類 リミテッド・ライアビリティ・カンパニー
市場情報 非上場
本社所在地 アメリカ合衆国ミシガン州オーバーンヒルズ
設立 1925年6月6日
業種 製造業
事業内容 乗用車の製造・販売等
代表者 ロバート・ナルデリ 会長兼CEO
主要株主 サーベラス・キャピタル・マネジメント 80.1%
ダイムラー 19.9%
主要子会社 クライスラー、ダッジ、ジープ、モパー、クライスラーファイナンシャル
関係する人物 ウォルター・クライスラー(創業者)
リー・アイアコッカ(元会長)
外部リンク Chrysler LLC(英語)
クライスラー日本
特記事項:ダイムラークライスラーからの分離による現法人の設立は2007年8月3日
  

クライスラーChrysler LLC)は、アメリカ合衆国の自動車メーカーである。現在、クライスラー、ダッジ、ジープのブランドを展開しており、GMやフォードと並び「ビッグスリー」の一角を占める大メーカーである。2006年の生産台数は254万台で世界8位。

目次

  • 1 概要
    • 1.1 設立
    • 1.2 先進技術の導入
    • 1.3 第二次世界大戦
    • 1.4 ヘミエンジンとモパー
    • 1.5 拡張路線
    • 1.6 経営危機
    • 1.7 アイアコッカ登場
    • 1.8 AMCを吸収
    • 1.9 他社との提携
    • 1.10 「ダイムラー・クライスラー」時代
    • 1.11 再出発
    • 1.12 現在
  • 2 日本でのビジネス
  • 3 現在のブランド
  • 4 過去のブランド
  • 5 車種
  • 6 広告出演
  • 7 関連項目
  • 8 外部リンク

概要

設立

70 ツーリング(1924年)
エアフロー(1934年)
タウン・アンド・カントリー(1948年)

1925年6月6日にウォルター・クライスラーが前年に発表した6気筒エンジン自動車クライスラー・シックスを製造販売する会社として、当時のマックスウェル、チャーマーズ両社を統合の上に設立した。

その後、1928年に「プリマス」と上級車種を擁する「デソート」ブランドを設立、翌1929年にはダッジ・ブラザーズ社を買収してラインナップを充実させ、GMとフォードに次ぐアメリカのビッグ3のひとつに成長する。またこの頃よりヨーロッパや日本への輸出を積極的に行い、その販路を拡大した。

先進技術の導入

設立後よりフレデリック・ジーダー(Frederick Zeeder)らの有能な技術者を擁し、大衆車では例がなかった油圧ブレーキシステム、「フローティングパワー」と呼ばれる新方式のエンジンマウント、油圧式パワーステアリングなど、クライスラーは技術面でGMやフォードに先んじた姿勢を取っていた。

その自負のもと、1930年代初頭には、先進技術と流線形の斬新なデザインを合わせた新型車「エアフロー」を導入したが、先進的過ぎたために市場に受け入れられず、商業的には成功出来なかった。しかしこれ以降アメリカやヨーロッパ、日本では流線形のデザインが主流となっていく。

第二次世界大戦

1930年代には戦車やウエポンキャリアなどの軍用車の製造にも進出した。以後軍用車部門は同社の収益の多くをあげる重要部門に成長し、第二次世界大戦中は戦争特需で同社の経営の安定に大いに貢献した。

また、第二次世界大戦中は一般向けの乗用車の開発が中止され、新車の販売も極度に制限されたものの、終戦後の1940年代後半は、帰還兵による特需で乗用車の売り上げを伸ばした上に、1950年に勃発した朝鮮戦争による特需で、再び軍用車部門の売り上げが増えることとなった。

ヘミエンジンとモパー

300F(1957年)
インペリアル(1966年)
コルドバ(1978年)
「ミニバン」の代表的車種である「ヴォイジャー」(1984年)
「Kカー」の代表的車種である「ニューヨーカー」(1987年)

1950年代に「ヘミエンジン」と呼ばれる高性能エンジンを導入し、NASCARなどのアメリカ国内のモータースポーツに積極的に参加。マッスルカーの流行につれ、これらの車はMopar(モパー/モゥパー)の愛称で親しまれ、クライスラーブランドの高性能なイメージを市場に植えつけることに成功した。

またこの頃は、アメリカ経済が絶頂期にあったこともあり、テールフィンがつき、大きいエンジンを積んだ利幅の大きい大型車(フルサイズ)が人気を博し、高性能な大型車が得意なクライスラーにとっての絶頂期でもあった。

拡張路線

この頃、クライスラーを率いていたリン・タウンゼンド(Lynn Townsend)の元で1960年代初めにはまずスペインの商業車メーカー、バレイロスの経営権を掌握、続いて1963年にフランスのシムカを強硬な資本介入で乗っ取り、さらに1967年、イギリスのルーツ・グループを買収し、クライスラー・ヨーロッパとして組織した(これらは1981年にPSA・プジョーシトロエンへ売却)。

これらに先立つ、1960年にはオーストラリアに生産拠点を設けた(のちに日本の三菱自動車に売却)他、シムカの設備を利用してブラジルでの生産も開始し、本格的な世界進出を開始した。

経営危機

しかし、これらは「負け組連合」と称されたような各国の弱小メーカーの寄せ集め的な買収の繰り返しであり、吸収合併による合理化やスケールメリットすらもたらすことのない有様であった。また、当時アメリカ国内で行われた無理な生産拡大が結果的に品質低下と販売不振による過剰在庫、リコールの多発をもたらした。

さらに1979年に起きたイラン革命以降の第二次石油危機と、アメリカ国内における日本車の急激なシェア拡大、それに反比例した利幅の大きい大型車の販売不振が追い討ちをかけた結果、1970年代後半には深刻な経営危機となり、運営資金が枯渇する状況に陥った。

アイアコッカ登場

経営危機の真っ只中の1978年に、フォード・モーターの社長をつとめていたものの、同社会長のフォード2世との対立から解雇の憂き目にあっていたリー・アイアコッカが新たに社長に就任し、連邦政府と議会からストックオプションと引き換えに、借り入れに対して政府保証を得ることに成功した。

アイアコッカの就任直後に運営資金が底をついたことから、第二次世界大戦以前より同社の収益の大きな柱であった軍事産業部門の売却を余儀なくされるなど苦難と時を迎えたものの、アイアコッカの就任後より開発を進め、1980年に早くも発売を開始した前輪駆動の小型車「Kカー」シリーズの導入と、全ラインナップの小型化の推進や、1984年に販売されたミニバンの導入、肥大化した組織の見直し、不採算部門の売却や閉鎖などの大々的な改革を行い、1980年代半ばには、数年前までは倒産寸前だった同社を完全に立て直すことに成功した。

AMCを吸収

その後1987年には、アイアコッカの指示のもと当時フランスのルノー傘下で、「ジープ」ブランドを所有するアメリカ第4位の自動車会社であるAMC(アメリカン・モーターズ)を買収したが、AMCが深刻な販売不振に陥っていたこともあり、シェアにおいてビッグ3の他2社を上回ることはできなかった。

しかし、同社の販売網を組み込むことでアメリカ国内の販売網が拡充した上に、同社が展開していた「ジープ」ブランドの各車は、その後クライスラーに大きな売り上げをもたらすことになる。

他社との提携

1985年には三菱自動車と提携し、「ダイアモンド・スター・モータース」を設立。1988年からイリノイ州に建設した工場で共同生産を開始し、「イーグル」ブランドなどで発売された。また三菱自動車が日本で生産した小型車をクライスラーやダッジ、イーグルのブランドで販売した。

その後、イタリア系のアイアコッカの指示のもとで、アイアコッカの友人でアルゼンチン系イタリア人のアレッサンドロ・デ・トマソが経営するイタリアの高級車メーカー・マセラティとも提携し、1988年には共同開発した高級2シーター車「TC」を少数生産した。

1990年代にはオーストリアのシュタイヤー・プフ(現マグナ・シュタイヤー)がチェロキーとグランドチェロキーの生産を開始し、再びヨーロッパ市場に進出した。ちなみに、三菱自動車はギャランΣ/エテルナΣ、デボネアに搭載していたサイクロンV6を供給した。

ネオン(1994年)
300C(2005年)

その後1992年にアイアコッカは引退したものの、1994年には、三菱自動車などとの提携から学んだ小型車開発のノウハウを生かして、最低価格が1万ドルを切る安価な小型車「ネオン」を開発し、同社はその後「日本車キラー」と呼ばれ人気を博した。

「ダイムラー・クライスラー」時代

1998年に、ドイツのダイムラー・ベンツ社と合併してダイムラークライスラー・AGとなった。この合併は対等合併ではあるが、事実上ダイムラーによる買収であった。しかしながら合併後、メルセデス・カーグループとクライスラー・グループの両方で好業績をあげたのは初年度だけで、以後はどちらかが不振に陥っている。

クライスラー・グループに関しては一時、「PTクルーザー」や「300C」などの予想外の好調な販売に助けられた時期があったものの、中・大型車中心のラインアップが災いして、イラク戦争後の深刻な原油高の影響で再び業績低迷に陥った。2006年決算では営業損益の赤字が11億1800万ユーロ(約1770億円)に達した。このためクライスラー・グループの分社化や売却の噂が絶えない状況となった。

再出発

2007年5月14日、ダイムラークライスラーはクライスラー部門をアメリカの投資会社サーベラス・キャピタル・マネジメントに株式の80.1%を55億ユーロ(約9000億円)で売却することで基本合意に達したと発表した。

クライスラーは、サーベラスの傘下で「クライスラー・LLC」として事業再建を図ることになった。売却後もダイムラーからの出資(19.9%)及び技術開発等の提携関係は継続している。

現在

サーベラスの傘下で再建を進めていたものの、原油価格の高騰による大型車やピックアップ・トラックの売り上げ低下に加え、いわゆる「サブプライム問題」表面化以降の世界的な景気悪化を受けて売り上げが低下し、2008年後半にGMやルノーとの合併(事実上の吸収合併)が取りざたされた。

日本でのビジネス

1920年代より日本への輸入が開始され、第二次世界大戦前まではクライスラーやデ・ソートなどが上流階級や富裕層に、ダッジなどがタクシーなどに愛用されていた。その後は麻布自動車など幾つかのインポーターの変遷を経て1988年、セゾングループの大沢商会との共同出資で、日本法人「クライスラージャパンセールス」が設立された。1990年には本田技研工業と販売提携を結び、ホンダ販売店にて「ジープ」車の販売を始めた(1997年に提携終了)。

1990年代の輸入車ブームになると、日本でのビジネスにいよいよ本腰を入れ始めた。1995年、クライスラーがセゾングループ側の出資株を全部買い取り、西武自動車販売を吸収合併し、クライスラー100%出資の新生「クライスラージャパンセールス」として再スタート。独自での日本販売網を構築した。

「ダイムラー・クライスラー」誕生に伴い、1999年には「メルセデス・ベンツ日本」と合併し「ダイムラー・クライスラー日本」となり2007年にはダッジブランドの展開を開始した。2007年にダイムラーとクライスラーとの協業解消に伴い、同年11月1日に「ダイムラー・クライスラー日本」は「メルセデス・ベンツ日本」として元の社名に戻り、その子会社としてクライスラー・ダッジ・ジープブランドを取扱う「クライスラー日本」として新たに発足運びとなった。

現在のブランド

  • クライスラー
  • ダッジ
  • ジープ

過去のブランド

  • イーグル
  • プリムス

車種

  • クライスラー・300
  • クライスラー・PTクルーザー
  • クライスラー・クロスファイア
  • クライスラー・ネオン
  • クライスラー・プロウラー
  • ジープ・コマンチ
  • ジープ・チェロキー
  • ジープ・チェロキー (XJ)

広告出演

  • リカルド・モンタルバン
  • フランク・シナトラ
  • リー・アイアコッカ

関連項目

  • ウォルター・クライスラー
  • モパー
  • クライスラービル
  • リー・アイアコッカ

外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
アメリカ
  • クライスラー・リミテッド・ライアビリティ・カンパニー
  • クライスラー
日本
  • クライスラー日本株式会社
  • クライスラー・ジャパン
  • CJstory「月へ続く道~Driven to the Promised Land~」
  • クライスラー・ジープ・ダッジ 東京大田 福岡 久留米
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